コラム Column


若松ゴルフ倶楽部                 グリーン改造を終えて               倶楽部会報 寄稿

グリーン改造工事完成のご報告

 

工事の進捗状況

  改造工事は、2019年1月より着手し、2班がそれぞれに前さばきの撤去班と造形チームに分かれ、順調に工事は流れた。当初予定の施工面積は大きく上回り、予定外のバンカーの改修にも手を付けることができた。それを可能にしてくれたのは、倶楽部のご理解により、管理スタッフやキャディーの皆様による献身的な張芝作業応援を頂けたからに他ならない。比較的天候にも恵まれ3月末にはグリーンはほぼ完成。

以降、グリーン外周の残工事や1番ティーの改修、インのPGとスタートハウス周辺の追加工事に着手。さらに、バンカーラインの微調整や排水不良個所などの細部の見直しを行い、6月末には工事完了となる。

グリーンのロイヤルリンクスセブンの播種は3月26日、27日に行い、10日ほどの間に無事発芽を確認、それから施工箇所の外周エリアを含め養生管理に移行する。7月には4ミリで刈込が出来る状態となり9月オープンに向けて倶楽部管理スタッフとも調整をしながら仕上げは順調に進んでいる。

 

改造後のコース全体の特徴

  今回の改造は、コースそのものが持つポテンシャルを引き上げることを目標とし、継承された上田治氏の基本形を大きくは変えない方向性の中で工事は進んだ。グリーンは多少手前がカットされ奥にシフトした様になった。見た目の印象、若干強くなったアンジュレーション。今までよりは小さくなったグリーンと、その新グリーンに接近されたバンカーに難しくなったと感じる方は多いかも知れない。

一方で、グリーンが絞られたという景観はターゲットを意識しやすくなったといえる。また、セカンドショットは、『乗せることが出来れば何とかなる、、、』から、ピン位置によっては、『あのバンカーに気を付けてあの当りに乗せておかなければ、、、』というはっきりとした攻略ルートをイメージしやすいデザインとなり、より一層楽しめるコースとなった。その様な意味では戦略性(ストラテジー)は、設計上の厳密な議論は残るだろうが、私的には十分に上げられたと感じている。

グリーンの始まりとエンドライン、幅として両端が出来るだけ分かりやすいように周辺の造形に変化を持たせた。バンカーについては、打ち上げホールや林帯の陰に隠れて見えにくかったものや砂面を隠していた張りを整え、全体的にバンカーは見えやすくなり、ビジターにも分かりやすいコースとなった。また、グリーンからの距離があまりに遠いところまで広がっていた部分をカットし必要以上のハザードエリアを削減すると同時に、深すぎたりオーバーハング的に顎が張りすぎていたものも修正し、必要以上の難度を無くすようにした。それら全体的なプレイヤービリティー(プレーのし易さ)は上がったと思う。

グッドショットの価値を高め、ミスショットのペナルティーは若干増したものの大怪我の可能性は少なくなったといえる。私自身の経験を踏まえれば、グリーン改造等において完成の姿を見ての感想として多くの関係者は口々に、『大分難しくなった』 という意見が大勢を占める。しかし、実際プレーが始まれば、その声はどこかに消え去り、1年もしないうちにメンバーは慣れ、昔の姿は思い出せなくなるものだ。

 

改造の記録

 特徴的な幾つかのホールについて、何故こうなったのか?について解説をしておきます。

 ゴルフ倶楽部においてパー3ホールの出来栄えというのはコースの良し悪しを左右するほど大きいといえる。4つのパー3がどのような変化を持ち、それぞれの戦略性がいかに豊かであるかは重要なところである。

3番ホールパー3については、砲台の形状に戻したいという倶楽部の意向を踏まえ、以前よりは1m程度グリーン盤は上がり、以前手前にあったバンカーの底のレベルまでグリーン手前を下げることで、エプロンの低い部分からは2.5m程のスロープを駆け上る砲台グリーンとなった。結果的に3mの打ち上げホールとなった。バンカーの配置とグリーンの構成について、最も悩んだホールである。残るパー3ホールを見ると、8番はフラットなストレートロング。12番15番は共にやや打ち下ろしで谷越え。12番は廻りをバンカーで囲む特徴を持ち、グリーンは以前のままの緩く受けた変化の少ない単純な面形成。15番は左奥に傾き右にもバンカーはあるものの主体的には左手前にバンカーの存在感が強い構成で、左後ろに流れ落ちる面形成である。以上を踏まえ、3番だけは逆使いが求められると考えた。打ち上げで右にバンカー、右奥に流れる形状とすることで、バリエーションの変化を生むことができた。

 7番については、当初最も大きな面積を有するグリーンだったのも手伝い、その右側に遠く離れたバンカーが二つあった。奥側は埋める事とし、グリーンに寄せたバンカーに変更し、手前側はFWに近づけIPから見えやすい位置まで出してきた。これによりセカンドショットにおいては明確なコースマネイジメントを嫌が負うにも求めてくるホールとなった。攻めにゆくか?どの当りの手前に残すかのジャッジがこのホールのカギとなる。この7番では3オン2パットのボギーで上出来なホールであり、パーは祝福に値し、バーディーを取れば喝采が沸き起こるといった具合だろう。アウトの山場ともいえる。

 9番ホールは、奥の松林を大きく伐採し、50yd程奥に延伸し、130~150ydの残り距離となった。計画当初よりIPからグリーン面が見えるかどうかという議論があったが、より見えやすくする為に旧ガードバンカーエリアまで施工範囲を広くし撤去した。松の伐採木の選定において、旧グリーン裏に大木があり、残せるものなら残してあげたいという声が上がり、私も賛同し計画の変更をすることとなった。当初はグリーン手前に小さなバンカーを置き、グリーンは左右に傾斜を取る様に考えたが、松を残した高さにおいては手前にマウンドがどうしても残る形状となった為、グリーン手前のバンカーは無くすこととした。松のマウンドからスロープをグリーンに流し込む事で、マウンドの裏側のピンポジションを魅惑的なものにする様に形状の修正をし、IPに対してはっきりとした受けグリーンとした。グリーンバックに池に対する玉止め的なバンカーを配したが、将来的に多少池を縮めるなどの検討が必要かもしれない。

 13番と14番はレイアウト上、ホールの構成は左ドッグレッグでグリーンの両サイドにバンカーのあるホールで共にゆるい打ち下ろしで380yd前後のパー4。この似通った2つのホールを印象的にどう変化を持たせられるかが大きなカギとなると考えていた。13番の左のバンカーは手前から見えづらく3mほど深い。まずそのバンカーを埋める事とした。というのも、若松はもともと2番3番以外のホールで全てグリーンの両サイドにバンカーがあった。少し強めのマウンドを作りラフとした。

14番では現場での作業確認の折、旧グリーンの手前を大きくカットし左手前のバンカーを極力グリーンに寄せるように造形をしていた時の事、そこで出た残土量の多さにスタッフは困惑していた。そこで、作業を中断させ、いろいろな角度から現場を見まわした。一つのアイディアとして、グリーン手前にマウンドを作ることでホールに特徴が出せると考えた。IPからは打ち下ろしであった為、多少のマウンドでもグリーン面を隠すことはなかった。グリーン手前の20~30ヤードを錯覚させる、言わばキツネだましのフォクシーなホールである。ゆくゆく論議を醸し出しそうなデザインではあるが、オブジェとしてもユニークな構成となり、その二つのホールはそれぞれに違った印象を持たせることが出来た。

 18番は当初、近隣への飛球が問題となり、併せて旧サブグリーン跡地がデッドスペースとなっていた。そのエリアまで右側にセッティングを考えていたが、何度考えてもそうすることで今度は左側のスペースが広がり過ぎて、右側への偏り加減が気になった。グリーンは現状の様に縦長が望ましいとも考えたが、グリーンエリアの幅は広すぎるほどあった。よって、計画を変え横長かつ左右の戦略上の違いを持たせるよう考えた。やや角度を持たせ右を手前に少し出した。グリーンのほぼセンターの手前にバンカーを置き、左右に分断し、左が高い明快な2段グリーンにした。左はアプローチエリアを広げグリーン奥をマウンドにしパンチボールでグリーンにボールは転がり戻るようにした。右は手前から砲台となり奥が浅い分、バックはバンカーで止めることとした。2オンを狙うか極力グリーンの近くまで運ぶショットを選択した場合、ピン位置が右と左では状況は大分変わってくる。ピン位置が左でグリーン右に外した場合のアプローチはし易いが、右のピン位置で左に外した場合の難易度は上がるだろう。結果的に広いグリーンエリアは有効にその広さの意味を持つことが出来たと思う。

 

グリーン改造工事を終えて(感想)

  設計者として、また施工責任者として本プロジェクトに参加させて頂けたことに心より感謝申し上げます。終わらせることが目標でありながら終わってしまうと寂しいものです。工事スタッフは、千葉と三重から精鋭を招集し、県内の土工スタッフにも頑張ってもらいました。倶楽部の方々には全面的に信頼をして頂いたことに感謝申し上げます。現場作業では、キーパーを初めコース管理スタッフの皆様、キャディーの皆様にも慣れない作業を献身的に協力して頂き、非常にいいムードの中、全員一丸となって完成することが出来ました。図面を土壇場で変更したり、重機で土を動かしながら即興的に修正を加えたりと、活気あふれる現場作業となりました。培った経験と新しいアイディアを絞り出す日々は終わりました。予算と工期の板挟みはいつも付き物で、終わってみれば後ろ髪を引かれるが如く、やりきれなかったことやもっとこうしておけばという後悔も、ふとした時に頭をよぎり続ける事でしょう。

今後を見据えるならば、今回触る事が出来なかったコースバンカーについては、今後の課題だと感じます。見えないクロスバンカーや中途半端な距離にあるものなど見直しが必要なものは残っていると感じます。また、林帯整備、ティー、カート道路の整備など課題はまだまだ山積とも言えます。

 

会員へのメッセージ(コース設計担当として)

お蔭をもちまして若松は生まれ変わることが出来ました。それは長い若松の歴史の1ページにしか過ぎない事とも感じます。改造をして、コースが落ち着いてくるのに3年は掛かり、5年目ぐらいから風合いが出てくるものです。

コースは自然の環境の中にさらされ幾度とない四季を経験する中で、大切にメンテナンスをされながらも、わずかな風化を重ね熟成しながらその姿は徐々に変化してしまう生き物と言えます。どんな美人に育てられるかは倶楽部の今後のコースへの向き合い方に掛かっていると思います。コースはよく自然の中に佇む宝石のようにも喩えられることもあります。この若松がメンバーの皆様にとって大切な宝物として愛されることを願います。

 

 

2019,7月  中田浩人


若松ゴルフ倶楽部 グリーン改造にて 倶楽部会報 寄稿(一部修正分)

一般社団法人 若松ゴルフ倶楽部

 

グリーン改造工事 基本構想

はじめに

この度の、若松ゴルフ倶楽部でのグリーン改修工事の目的は、近年の地球温暖化が影響する夏場の気温上昇からグリーンコンディションの品質確保が難しくなった旧来型ベント品種から新世代型で耐暑性に優れた草種への転換と、20数年が経過し劣化した土壌入れ替えが最も大きな目的となっている。

次にこの機会に併せ全体の距離の延伸と、前回のワングリーン化工事において当時の流行でもあった大きなグリーンを見直し、戦略性と景観性を見直しサイズダウン化の改修をすることとなった。倶楽部の総意を汲み取り、今回の改造に反映することとなった。

 

 

グリーン改修工事の主なポイント

□ 草種をペンクロスベントから007とタイイの混播(ロイヤルリンクスセブン)

 ベント種子の開発は世界的に進んでおり、近年ではペンクロスベントを第1世代として現在では第4世代の品種改良種が主流となっている。夏場、目数の減少が少なく低い刈り込み高に適している。今回採用の007とタイイの混合は近年注目され、実績を徐々に出している。本コースにおいても昨年より試験をし、確かな感触を得ている。

 

 

□ コース全体距離を出来るだけ伸ばす方向で考える。

 今回の改造において、大きく変わるホールとして9番ホールは50ヤードほどグリーンを奥に追い込む。クラブハウスからもグリーンが見えるところまでくる。

 全体的にサイズダウンさせる方法論として、手前側を多めにカットし、グリーンセンターを後方にずらすことでそのホールの全体距離は若干でも伸びる方向となる。総体距離は100ヤード前後となる見込みであるが、殆どのホールで手前をカットするので、今までグリーン手前に何とか乗っていたショットでは届かなくなり、相対的な難易度は現状より大分上がる方向である。

 

 

□ グリーン面積は530630㎡程度を目途とする。

 グリーンの適正面積の考え方はその時代ごとにコースデザインの傾向やメンテナンス技術、そして、入場者数の推定により様々に数値化されることがある。前回改造時の時代性は日本のみならず世界における新設コースの主流として、ゴルフ人口の将来的な増加傾向の中700㎡~800㎡程度が基準値であったと記憶する。

若松においては、将来的にもバブル期の様に年間入場者は4万人を超えることは考えにくく、メンテナンスにおいても新品種を使う事で、面積的には500㎡程度で十分耐えうると考えられる。

また、面積の縮小化はメンテナンスコストにも影響が出てくると言える。基本的に従来品種に比べ新品種はコストアップすると言われている。その理由として、肥料目砂については、少量多回が望ましいという考えに起因している。しかしながら、グリーンの面積が平均に100㎡以上減少すれば、トータル面積は1800㎡~2000㎡が減少する。面積に比例して下がるわけではないが、マイナスに転じられると考える。逆にいえば今の面積を縮小しなければ、コストはアップするともいえる。

 

 さらに、現状でのグリーンの起伏(アンジュレーション)については、概ね1~3%が現状でやや単調さを感じる。今回の改造においては、その傾斜を1~5%と今よりは若干強めの傾斜を設けパッティングでのラインの変化をつけることで面白みやホールごとの特徴を増してゆきたいと考える。

 

□ グリーンのコンパクト化に併せてガードバンカーの改修も考慮する

グリーンの新しい形状において現在のバンカーの位置も変えなければならないホールが出てくる。現状のガードバンカーの配置については、ややグリーンとの関連性が弱く、難易度としても物足りなさを感じる。バンカーそのものの存在感とライン自体の優美性を上げてゆく方向で改造を進める。

 

 

 

各ホールのポイント

 

No1 現状のセッティングとは大きく変わらないが、グリーンの幅を少し縮め、併せてバンカーを寄せてゆく。

 

No2 右手前のバンカーを少しFW側に寄せる。現行グリーンの形状の右奥をカットしグリーンバックのラフにゆとりを取る。

 

N03 このホールは大きく変わり、砲台型のグリーンとなる。これは2HL側からの排水の問題がり、大雨の際には2HL側から大量表面排水が流れ込む状況となっている。よって、グリーンを高くしてゆくことが望ましいと考えられた。上田氏による当初の設計がそうであったからということもある。グリーンはティー方向から対角線状にグリーンをセッティングし、同様の方向で半分に分け薄い2段グリーンとしている。現状のグリーン手前のバンカーは撤去し、右側と左側にバンカーを配する。手前の現状バンカーから切土をし、新グリーンの高さまで約2.5mのスロープで上がる事となるが、グリーン面自体は現状より1m上がる。

 

No4 グリーンの幅を縮め、併せてバンカーを寄せる。グリーン左側にマウンドを設け左コーナーを明確にする。

 

No5 グリーンは原型を尊重し若干勾配を強める程度。左右のバンカーラインを修正する。

 

No6 グリーンバックのマウンドからの尾根をグリーンに差し込む形をとる。アンジュレーションの流れは基本的に現状を維持する。左手前のバンカーラインを修正する。

 

No7 横に長い大きなグリーンであるが、グリーン右手前を10m程カットし、周辺のバンカーを構成しなおしてゆく。

 

No8 左のバンカーを飛球線に被る様にラインを修正しグリーン右奥をカットし右奥のバンカーを手前に引いてくる。

 

No9 このホールでは、グリーン裏側が5~6m程落ち込んでいる松林の中を伐採し、新しいグリーンを作る計画である。これによって、現状BTから334ydは385ydと51yd延伸となる。当初予定ではなかったが、左手前の松の大木を残した。それにより、明確にグリーンへの花道は右側となる。グリーン左にカップを切った場合はマウンド越しのブラインドホールとなる。そのマウンドに、バンカーを配するかどうかは結論がいまだ出ていない。グリーン右の池に対して救済的なバンカーを造る予定である。現状より3m程度低い位置にグリーンは仕上り、カート道路もルートを切り替えてゆく。クラブハウスからその景色が美しいホールとなりうる。

 

No10 左手前のバンカーを砂線が見えるように切り上げる。グリーン奥側の両サイドに薄いマウンドを作り変化を持たせる。グリーン手前は若干カットされ奥側は多少幅を絞る。手前のポジションは現状とアンジュレーションの流れは変わらないが、奥側については今と逆でボールは周りから中に曲がるラインとなる。

 

No11 3打目が打ち上げでグリーン面は見えない。現状では左手前にダブルバンカーとなっているが、サードショットではバンカーの砂線は見えづらい。これを1個に集約し、現状手前のバンカーで、1.3m程度の深さであったものを2m程度のやや深めのバンカーとする。右のグリーンの入り込みを3m程カットし、バンカーの存在感を現状より強くする。

 

No12 このホールは現状を維持する。周辺のバンカーについては綺麗にラインを切り直す程度とする。

 

No13 現状グリーン手前は、右側にベロのように張り出している。手前を7m程カットし、右奥を張り出す。右のバンカーラインを若干グリーン側に寄せることで、その存在感も増す。左側の深く大きなバンカーは埋めてラフとする。このコースでは今までガードバンカーはグリーンの両サイドにあった。それが逆に印象性を下げることにもなると考えた結果、このバンカーを埋めてしまうという結論である。

 

No14 グリー手前を12mカットする。左手前のバンカーを回転させ、グリーンに対してかぶさってくる様にする。幅は若干広げるようにすることで、バンカーとの関連性を高める。グリーン手前にマウンドを設け、IPから距離感を錯覚させ、印象的なうねりを作る。

 

No15 右の2つのバンカーを修正する。左奥にグリーンは広げ、右側に幅が出ているグリーン面は6m程カットされる。

 

No16 グリーンは10㎡程小さくなる程度で手前をカットし、幅をもう少し出す。両サイドのバンカーは大きめで、手前の張りが邪魔をし、バンカーラインを隠している。その手前の張りを落とし、大きすぎるバンカーを適正な大きさに縮小する。、右のバンカーの右マウンドは下げる。

 

No17 基本的にはグリーンは角を取る程度で、変更は少なく、バンカーの見え方が浅い為、ラインを修正する。

 

 

No18 グリーン左側への民家への打ち込みが予てより懸念されていた為、グリーンを右側へシフトする。現状正面にあるマツは伐採し、旧サブグリーン側へ寄ることとなる。併せて、カートの導線も変更してゆく。現状の左奥のバンカーは無くなる。グリーンは左が高く右が低い横方向へ細長い形状となる。

 

                                             2018.11月  中田浩人


昨今の現場事情         Nov.2014

 

 たまに、昔の工事仲間と酒を飲むと良く出る話である。

今は、工事が本当に少なくなり、若い技術者が育たないし、育てる環境がない。

 

 造成工事ラッシュにわき立った当時、若いやる気のあるやつを見つけると・・・

『おい、そのブルであそこを均してろ!』といい、一日中それも何日も無駄と分かっていながらも、乗せて覚えさせることが出来た。『それがあったから、今の俺があるのだがな』というその彼はもう還暦間際だ。その人との言葉をもっと借りよう。

『工事金額が少なくなった今、昔のように予算にはゆとりがない。』

『仕事を覚えさそうにも、こっちがやらなきゃ儲けなど出やしない。赤字までして覚えさせることはできない。』

『ちょいと、見込みがありそうなのがいたとしても、仮に身について腕を上げても年間を通じてゴルフ場の工事は今は無いから、結局は土木工事に体を取られ、いざというときにはゴルフ場の改造工事からは遠ざかってしまう。』

『ブルドーザーまで使ってするような改造工事も少ないから、まづこれからブル乗りは育たんだろうな?』

『それよりなにより、今の若いもんは、怒ったらすぐ来なくなる。だから、無理! お願いして来てもらうんだ・・来てくれたら簡単な仕事をしてもらい、こっちがいつまでもユンボやブルにいつまでも乗ってなきゃいけない。まいるぞ~』

 

 などなど、愚痴が止まらなくなる。

 

 その彼のような何でもこなせる技術者は本当に少なくなっている。この関西においても、名前を上げれば10人といない。それが現実である。

よって、多くのゴルフ場で、補修や改修、改造に渡って、施工現場には道路工事業者や一般土木業者など、ゴルフ場専門の工事会社はなかなか見かけなくなっている。

結局は、高い工事金額の割には良い工事になっていないか、安かろう悪かろうになっている話をよく聞く。

 私は、設計を本格的にする前には東京でいわばゴルフ場造成の専門会社だったF社でゴルフコース作りの擒になったわけだが、その会社も今は姿かたちを変えている。そういう会社は多く、その酒飲みの友人も、そんな会社にいた『残党』である。

 細々と仕事を続ける日本全国に散らばった、その残党達はもはや還暦、あと何年続けられる・・・?

 

 この先を思うと誠に悩ましい。

 


最近になって気の付く事     Oct.2014

 

この日本で素晴らしいコースだと評されるコースをプレーして今更ながら感じることがある。

普通のコースにはよくあるものだが素晴らしいコースには気付いてみるとあまりないものです。

『造形マウンド』それです。マンメイドマウンドともいうかもしれませんが、自然の造形美を表そうとしてバブル期のコース造成には欠かすことのできなかったそれです。私も良く図面で書き、現場で指導して作ってきたそれです。

 

鳴尾・川奈・廣野・霞ヶ関・東京・茨木(東)などなど、それらのコースのどこをとっても造形マウンドというものは見当たりません。(鳴尾No17の2IP右のアルプスは例外?)

バンカーマウンドについても出しゃばったようなマウンドはあまりないように思います。

 

バブル期に当時アメリカでも作られてきたのが発端でもあるでしょう。また、バブル当時、地形の悪い中で強引に作り込まれる中でOBとの見切りとしてや、隣ホールとの高低差の関係で景観的なホールバランスを考えて作らざるを得なかったものでもあると理解しています。

 

よくよく考えてみると、やはり、取ってつけたような人工的な造形マウンドはいらない。

そう思うこのごろです。

 


日本のコースに足りないもの    Feb.2012 

 

海外のコースにあって、日本のコースに無いものは?

 

色々な答えが返ってきそうです。

私は、『近景』・・・というものが浮かんできます。 その存在意義です。

景観は見る側からすれば、近景・中景・遠景の景観の組み合わせによって成り立っています。

 

近年欧米のコース設計家の新作を見ると、ナチュラルな志向の高まりがあるのか、自然の美しさや荒々しさをそのままコースに取り組もうという傾向が強く感じられます。景色全体の構成を捉えた近景の存在感のすばらしさがあります。近景があってこそ遠景は生きて来るもので、景色そのものに奥行きが感じ取れます。 それは、クラシカルなリンクスコースやパインバレーCC、などの有名コースへの回帰的な流れの様でもあります。

 

 そのようなコースでは、ティーのすぐ前からフェアウエイの始まりまでの間の部分で荒々しいブッシュにしたり、サボテンが生えている砂漠地帯の中に広がるものや、更には海岸線を生かしたものなど、自然美をダイレクトに取り込んだデザインを取り込もうとする傾向が強く感じられます。

 

 しかし、その様なデザイン性は日本人ゴルファーの思考(好み)にマッチするでしょうか?

答えは・・・NO!です。

ボールが無くなる。スコアーが悪くなる。危ない。渋滞する。と景色の妙など求められる事無く、我がスコアーとクラブの利益にのみ関心事は終始する。景色が良くともスコアーががたがたになる可能性は排除したいのです。 自分のスコアーのお膳立てとしては真に都合が悪いのです。

然るに、自然の中に溶け込んだコースというのではなく、ゴルフ場というプレーゾーンを大自然の中に貼り付けたといった感がいなめません。

 

 日本特有の温暖な気候がなかなかそうさせない部分もあります。 雑草がすぐに生い茂り、荒地は本当の荒地と化し、コースの一部というものを超える可能性が高いといえます。つきつめれば、そのエリアの捉え方は荒地ではあるが、荒地としてのメンテナンスが必要となります。それには、景色を見抜くセンスが必要でもあるのです。今、日本に欠けているのはそのセンスです。

 

 茶の世界に言う、真・行・草という様式美の捉え方があります。

日本では、『行』の『ひつらえ』が言わば無難であり、万人受けするところです。つまり、洒脱でラフリーな趣味の域を究極を求める『草』でもなく、かっちりと整頓された美『真』でもない、『行』が意味する中庸の美というものが合うようです。

『草』の部分でよさを理解するにはセンスが必要です。そして、『真』のあり方を追求するのにも、個々のディテールにまで気を使わなければなりません。それらはあらゆる面で高いコストパフォーマンスがついて回るものです。パインバレーCCのラフリーなバンカリングのエッジをそのままに維持管理するのにも、適した気候と植生をとらえたセンスが求められます。オーガスタナショナルのバンカーラインは念入りにすべてのラインが計算されています。その二つは草と真の対象系とも取ることが出来るでしょう。

 

 ブッシュを作るのがだめなら、バンカーを手前に引いてそれを近景とする手法もあります。 しかし、それも弱い者虐めのバンカーということで、即却下となることが日本では常なるものです。 設計の立場から言えば、理不尽な判断のように感じられてなりません。 現に、廣野・鳴尾・川奈などにはその種のバンカーは今もあるにもかかわらず、そのアリソンの遺言状ともいえるコースデザインのスタンダードとなる手法や意味を学んでいない『日本のゴルフ』の不思議を感じます。 

 

 つまるところ、バンカーとは一体何の為に作られているかという素朴な疑問が生まれます。

弱い者を虐める為ではなく、プレーヤーの戦略上のガイドであり、戦略性の要でありプレーヤーとの会話を引き出す化身のようなものです。その存在によりゴルフは奥深さや醍醐味が出て来るものです。そして、コースを美しく見せるポイントです。

では、『弱い者』とはなんでしょう?

飛距離が120ydしか飛ばないプレーヤーを設計段階でどこまでフォローすべきなのでしょうか?いつもは230ydのショットメーカーがたまたまミスをして150ydのてんぷらショットをした時のフォローをどこまで考えるべきでしょうか?更には、300ydのドライブに対応する意味があるのでしょうか?

また、ハンデキャップが36のプレーの可能性に対してどのように捉えるべきなのでしょうか。

 設計上の規定でもありませんが、私の思う若しくは多くの設計家も同様に思っているであろう、コースセッティングの基準としては、概ねハンデキャップ18のボギープレーヤーにとって、パーの可能性を残し、あわよくばバーディーが取れるコース設定が基準でなければ、ゴルフコースとしては成り立たないと考えます。

 

 HDC36以上のプレーヤーにも良いスコアーをサービスしたいという精神があっては、コースは単調にならざるを得ません。かつて、1ホールに1つのバンカーでコースを造ろうという話しがありました。全くのナンセンスだと思います。ある外資系コースのグリーン改造では、デザイン性を全く考慮せず、易しくなればよしという改造話を聞くことがありました。これも同じです。ゴルフコースが薄利多売になると、様々な対応策を講じてプレーヤーのわがままなクレームに対して、無用な責任逃れをしようというムードが出てくるものだと懸念してやみません。 その流れをどこかに持っている現状の日本では、近景を作るどころか、単一に整った綺麗な芝生を維持する事が美得なだけで、良いデザインに挑戦する事は極めて難しいと言わざるを得ません。 

 

 最後に念のために申し上げますが、全てのホールで必ずしも、見事な近景を作るべきということではありません。取り込めるだけの近景が無い場面もあるものです。そこにある自然を近景としてダイレクトに取り入れようという柔軟かつセンスあふれるデザイン力が求められるべきと考えます。

先ず、景観というものをもっと意識すべきであると思うのです。個々の主観や上司の好みにだけ頼っていては、いけないのです。 景観や景色という自然に対して、もっと慎重になるべきではないでしょうか。

 

 


ゴルフ を考える  Apr.2011

言い尽くされていることだが、『ゴルフ』とは何だろうと今更のように問えば、私なりに以下のように述べようと思う。

欧州はアングロサクソン民族の文化性から来るモラリズム思考がゴルフの根幹を支え、発展させた事を想えれば、それが基軸となる理念として『自分を自分で裁く』というゴルフのルールが持つ貴重な本質が見えてくるものである。その極めてシンプルな理念が、様々な自然の環境に溶け込まれたコースの中であるが故、数奇なドラマがあたかも自然のいたずらかのように生まれる事になる。つまり、人の心理を自然という環境が関わりながら揺さぶる事になる。

一つのゴルフボールをカップインさせる目的に向かいプレーヤーは同伴競技者と共にプレーする事でプレーヤーの人間的本性は様々な場面で試されることになる。その舞台、それがゴルフコースそのものだ。それは古来より多くの設計家の感性に委ねられ、コースは長い年月の中で自然環境にさらされ、的確なメンテナンスを施される事で成長し熟成されてゆく事になる。言うまでもなく設計する上で最も大切なのは自然に逆らわない事であり、馴染みが心地よく心のばねを動かし厭きさせず、楽しませるものである事がゴルフの意義深さに繋がる。つまり、ゴルフそのものがその『自然』という環境に馴染んでいればこそ、無用なストレスを感じる事無くゴルファーの精神は安らぎを感じてゆくことだろし、達成感と言い知れぬ挫折感を同居させるのである。結果的にゴルファーは己のプレーの中で、自然に対して謙虚な心持で臨まなければ、勝利を手にする事がないことを嫌がおうにも知ることとなる。

 その真の賢者からは『ジェントルマンシップ』というものがにじみ出てくるものだ。そして、いかなる状況下であろうと冷静な判断力と強い精神力が備わる。ついにはそのゴルファーは他人を思いやる優しい心と質の高いマナーを持った一人の人間として成長を遂げることが可能となる。

『ゴルフ』はそれらの深い精神性を背中合わせに持つことで文化の域に発展せしめるものとなり、ゴルフというスポーツの存在価値を高め世界中で愛されるスポーツとなり得た。真の賢者たるゴルファーは強く優しく誰からも尊敬される人格を持つことになる。

その意義を尊重し、欧米では古くからリーダーに相応しい人格形成の育成方法のアイテムと捉えられて来た。日本のゴルフ創世記においても、その意義を特権階級の想いにより輸入された経緯があったと言える。また、当然のことながらプレーそのものが、たまらなく面白かった事は言うまでもない。

 

このように杓子定規に捉えたとして、現状の『日本のゴルフ』は客観的に見て、どう映るものであろうか?

日本に限らず世界のゴルフ界は、利益競争主義の渦中にあることは言うまでもないが、その利益獲得に対する戦術には食い違いがあるように見える。

日本にある過半数のゴルフ場では、クラブ側は『おもてなし思考』の立場をとり、客となったゴルファーは『お客様意識』が徐々に強くなる傾向にある。つまり、日本のゴルフに懸念されるのは、ゴルフに対する『満足感』、その歪みにある。よく聞く話が、お客様に喜んでもらえるコースでありたいが故にコースはあまり難しくない方が、『良いコース』であって、良いスコアーで喜んでもらえ、また来てくれる・・・という論法である。その『良いコース』とは収益が上がる商売として成り立つコースの意味である。お金が稼げなくなった日本人のゴルフ愛好家は、普段のストレスを晴らすが如く、安くて簡単に良いスコアーが出せるゴルフ場ですと言わんばかりのゴルフ場へ殺到する。世が苦しくなれば致し方のない深層心理から来る、一つの道理かも知れない。その中で増殖してしまうのは、真の賢者とはほど遠い傲慢で身勝手なゴルファーと年々悪くなるゴルフコースの姿いう残念な結末が見え隠れする。

一方、近年の日本以外の中国を筆頭にするアジア新興国では莫大な資本を盾に富裕層の満足感を求め世界的に通用するコース建設が盛んであると聞く。欧米の有名設計チームがしのぎを削りプロもきりきり舞いするような戦略的なスペシャルコースを競うように作り出しているということだ。つまり、本質重視である。言い換えれば、お金も欲望も満たされているので、余暇の時間に自然やコースに多少痛めつけられでもしなければ満足もしないのかもしれない。

また、昔からよく言われることだが、オーガスタナショナルやパインバレーGC、サイプレスポイントGC、さらにはセントアンドリュースといったゴルファーであれば当然憧れるであろう世界的な名コースは決して易しくはない。日本人ゴルファーの多くは、とてもスコアーにはならない程の難易度が備わっているにもかかわらず、世界中のゴルファーにとって、それらのコースへの魅力が廃れる事はない。

しかし仮に、それらのコースで易しくするような改造が施されたとして、喜ぶゴルファーがいるだろうか?何一つ替えてもらいたくないというのが圧倒的であろう。

決して良いスコアーは出ないが、すばらしいコースを満喫したいのか?自分のスコアーに満足さえすれば、どんなコースでも満足できるのか?という両者の違いはゴルフの本質を考えさせ、ゴルファーとしての立ち位置を決めるに等しい。

現代の日本を取り巻く社会環境の渦中にあるように、このゴルフ界においても日本は世界の中においては、いわゆる『ガラパゴス化』が懸念されてならない。

今後世界の中での『日本のゴルフ』は、これからの私達の判断の上にある。どのよにゴルフを捉え向上心をどこに置くべきかの判断をしなければならない。

尊敬するゴルフ関係者の何人かが全く同じ事を言う。『日本にはゴルフ文化なんて芽生えないし育たないよ。』確かにうなずけるところはそこら中にある事を私も知っている。しかし私は、そうあって欲しくない。私の身の丈をもって先を指差し歩いてゆくしかない。 

 

 


侵 食          Aug. 2009

 

自然は繁殖力を持つ動植物の争いに日々暮れている。

強い繁殖力と適応力を持つものが生き残る世界。

純潔で繁殖力が乏しく環境の適応力に乏しいものは衰退する定めにあるのがこの地球という環境のようだ。 

 

 いくら取り除いても、こぼれ種で復活してゆくものと、少しの温度や日照不足で死滅するものまで、環境は弱いものに過酷で強いものはさらに旺盛になって、弱いものの住み処までも脅かしてゆく。強いからと、思慮あさく放たれたものは環境にとって害になる可能性が非常に高いものだ。

 

 ゴルフ場の場合、ティフトンをベント芝の管理に不安を持っていたころ、関西でコースにばら撒かれた時期があった。その後、今になっても多くのコースでティフトンの除去をしている。もう30年以上も前のことだが、未だに消えない。その繁殖力は日本芝(高麗芝やノシバ)をはるかに凌ぎ、とってもとってもいつの間にか広がっている。

  スズメノカタビラという雑草がグリーンに入った後には、その除去にどれほどコースメンテナンスでは苦労を強いられることか。ちなみに海外ではそのカタビラをメインに取り入れたグリーンも少なくない。ペブルビーチGCはそれがメインとなっている。  

ハワイなどに見られるシーショア=パスパラムという芝(スズメノヒエ属)もはじめは雑草だったのだが、あまりの繁殖力に目を向けた研究者がゴルフコースに取り入れ、品種改良も進み、現在ハワイなどでは多くのコースで使われている。ちなみに沖縄でもそれを使ったコースがある。しかし、ティフトンとパスパラムはスポーツターフとしてのタッチの差が多くあるため、好みは二分するところ。

 

 我が家の庭にも幾つかの繁殖力の強いものがある。

特に、ハーブ系の植物やセダム系の植物は根が少しでも残っていれば一見とりのぞいたつもりでもいつの間にか、存在をアピールしてくる。ペット動物として海外から持ち込まれたものによう日本の環境への害は、語るまでもない状況。いろんなところで害を及ぼしている。

 

 世の中は、良いものはなかなか育ちにくく、あっという間に数的劣勢に瀕する。

一方、害を及ぼすものはいくらでも繁殖や増殖を繰り返してしまう。

やっかいな世界としか言いようがない。

いかに良いものかいなか、それがどれほど尊い存在になることかは、それが害を及ぼしだし、旺盛な繁殖をし始めてから始めて分かるものだ。 今も弱肉強食の中で、繊細な美しさを讃える全てのものは危機に瀕している。 一見して、便利だから、楽しいから、綺麗だからと言ってすぐに飛びつくのは、その後で困った問題を生みかねないといって良いのではないだろうか?

 

 弱いものはいいものをどこかに持っていると逆説的に言えるのかもしれない。

弱い子供は、根気よく育てると立派な大人になり、心の繊細なガラスの心を持つ子供はどこか、秀でた感性を持っているともいえる。いつも仕事に失敗し、上司にばかだちょんだと言われながら、文句も言わず地道にがんばるサラリーマンはどこかでどえらい成果を上げる可能性を秘めている。

   

 昨日電車の中で夏坂健さんの本を読んでいたらこんな一説があったのでご紹介する。

  

『さあ、みんなでゴルフ狂になりましょう。このゲームはおぼれるほどおくが深く、沢山叩くほど人生が豊かになります。また、打数に比例して思いでも増えるものです。ヘボだからといって恥じてはいけません。むしろ自分の腕を自慢する人こそ恥ずべき存在、スコア自慢は見苦しい限りです。ゴルフはハンデによって誰もが平等のゲーム、当倶楽部では愛称だけで呼び合って、地位、肩書きは無用に願います。』

 

 これは、1894年アーサー・バルフォアがR&Aのキャプテンに就任した際の初めの挨拶の言葉。1902年からイギリス首相でもあった彼のモットーは『私の人生の理想は、多く読み少なく書き、沢山プレーすること』だそうだ。

『騎士達の1番ホール』より

 

 ゴルフをしていると、人間性が出る。侵食してもらいたくないのは、打数をごまかすパートナーとスコアを自慢するにわかシングル。やたらでかい声でマナーの悪いプレーヤー。それと、同伴競技者のプレーに何の関心も持たず、一人でさっさか行ってしまう奴。しかし、尊敬に値するジェントルマンに出会った時、ゴルフは言い知れぬ喜びに変わってゆく。

上手い下手は全く関係なくなり、時の経つのも忘れ幸せが舞い降りてくる。

それがゴルフの魅力だとおもう。そんなムードがゴルフコースにもっと多く侵食してもらいたいと願うばかりである。

  

NaruoGC
NaruoGC

アンジュレーション  Jun 2009

 

 ゴルフの醍醐味はまん丸なボールがアンジュレーションによって、思わぬ方向に跳ねたり、その傾斜の方向を変えながら転がり進むことによって増幅される。同じイギリスで生まれたラグビーは、平らなフィールドに楕円のボールがイレギュラーに跳ねることで、瞬時にして敵のボールが見方に舞い込むハプニングを常に持ち合わせることになる。このことは言われつくされているイギリス流儀のスポーツ精神の象徴的な部分でもあろう。ボールの転がりは不規則であり、プレーヤーにラッキーとアンラッキーを平等に与え、人生の縮図的要素を味わうこととなる。言わば、運という不思議な神の手が作用してしまうのもゴルフの味というところだろう。それを引き起こす一つの大きな要素としてアンジュレーションというものがある。そんな大地のデザインが織り成すアンジュレーションがプレーの中にかくも大きく影響するスポーツはゴルフを持って他にない。 

 

 アンジュレーションは、分水嶺が複数織り成す面の歪みである。水の流れる方向を明確にし、程よく分散される面の複合であり、その大地の秩序となっているものと言える。トップとなる尾根線からボトムエリアへ流れてゆく面によって生まれる。それが複数の折り重なりとなり、一つの景観の中に見えてくるものである。また、勾配の少しの変化によっても、アンジュレーションは生まれるものである。

 

 コースデザインの場合、FWとグリーンのアンジュレーションは基本的に変わるものではないが、グリーンの場合、より微細にすることで面白みを増幅できる可能性を秘めている。また、そのたなびく起伏の大きさがグリーンやフェアウエイのような景観を捉え、それぞれに適正なスケールを保ち、景観性と戦略性を上げるものがよいとされる。

 

 戦略性の高いコースほど、そのアンジュレーションを巧みに利用し、飛距離や方向付けを戦略的に左右させるものとなっている事が多い。つまり、アンジュレーションはスタンスに影響し、ショットをする際の精度を微妙に変化させ、様々な状況をプレーヤーに与えることでゴルフに奥行きを持たせるものといえる。何よりもボールの転がりを演出する元となる。

 

 日本のように多湿で雨の多い地域性においては、雨水桝をこまめに取らなければならない。その桝への水勾配を取りながら整地されることによっても、アンジュレーションは自然に生まれるものである。つまりそれは意図的に取ってしまわない限り、偶発的な副産物である場合も少なくない。バンカーはその影響するラインに上手く当てはめてゆくことで、より自然な存在感を表現できる。曲線のつながりは一筆書きのようにバンカーの織り成す起伏と窪地を溶け込ませるように配されることが望まれるものである。

 

 アンジュレーションをコースの距離的条件や高さの条件に上手く当てはめてゆくことにデザイナーの仕事があり技量が試される。私はそこであたかも自然の気丈が入り込んでくるようなラインを大切にし、必要部分を造りこみ、その他生かす事のできるオリジナルな現地形は極力残しておくべきだと考える。あまり触らず、自然任せということになる。  

 時に自然はいびつなものを形作ってしまうものである。不思議とそのラインはあきが来ないもので、周辺の景観に不思議と収まりがよい。しかし、人工的にブルドーザーで整形されたマウンドや曲面は一見美しいものだが、人工的であることは否めず、見慣れるたびにあきが来てしまうものが多い。自然とは計り知れない尊厳のようなものを持ち合わせ、人の心に入り込んでしまうものだということを忘れてはならない。

 また一方では、人工的に作られたあらゆるものたちも、元来の自然に勝るものではないが、自然環境の中に存在することによって、いつしか自然の一部として飲み込こまれる定めにある。

それらは矛盾するが、私の認識するところである。 

 

 アメリカンスタイルのゴルフコース(アメリカにおけるゴルフブームの中で造られてきたコースの多く)はゴルフが本来兼ね備えていた不確実性を出来るだけ排除し、ナイスショットが、常にまたは正当に報われるべきコースを描き出したと言える。 ショットの機械的な精度を高めることで、ベストポジションが得られ、優れたスウィングをより明快にするためにそのランディングエリアを極力平坦にして、その他の要素をはぶいてゆくことになった。 一方で、プレーヤーに想像力と考える事を奪い取り、困難な状況下からの脱出に奮闘する面倒な作業を排除してゆくことにも繋がった。プレーヤーは機械的なスイングの安定性を求め日々鍛錬を重ねることで、よいスコアーを比較的順当に手に入れることができるようになったと言える。その点において、スコットランドなどのクラシカルなコースとはコース作りのコンセプトは大きく変わってきたと言えるのではないだろうか。USオープンとジ・オープンの違いをそこに垣間見ることが出来る。

   

その対極的なデザインコンセプトにおけるアンジュレーションのあり方もまた、対照的といえる。どちらがよいと言うものでもないであろう。それぞれのゴルフスタイルが楽しめるということであると同時に、そのような志向が存在したということだ。 ゴルフコースにおける『アンジュレーション』のあり方は、微妙にその存在感を表すものだと私なりに解釈している。