ゴルフコース・設計の歩みとこれから

 

                                Nov.2024  中田浩人

ゴルフコースの誕生は多くの説ありますが、スコットランドの歴史資料から1491年頃というのが定説と考えられています。その当時日本では室町幕府の時代であり、その長き歴史の中でゴルフを取り巻く環境は少しずつ形を変え現在に至ります。コース設計においてもその変遷は様々な発想やニーズにより形を変えてきました。

 

 

リンクスコースの時代

スコットランドのリンクスコースは「神が創り給うたコース」として設計者は存在しません。当然コース設計の概念すらありませんでした。はじめてコース設計がおこなわれたとすれば、セントアンドリュース(オールドコース)のキーパーであったアランロバートによるホール手直しからです。これが「コース設計は改修から始まった」と云われる所以です。オールド・トム・モリスは設計家の草分け的な存在といえるでしょう。この時代の代表的なコースとしては他にカーヌスティ―・ミュアフィールド・トルーン・ターンベリーなどがあります。リンクスの設計では海岸沿いならではの起伏にとんだ地形と常に吹きすさぶ風や雨は自然が生み出すアンジュレーションを形成します。その激しい自然状況下であるが故に、ショットには難しさをあまり求めないようにハザードはさほど多くは無いといえるでしょう。特徴的な存在としてヒースやハリエニシダなどのブッシュの植生をそのままにしており、とてつもなく厄介な存在感と同時に美観性をもたらしています。それらコースの領域の殆どはそもそも、自然が生み出したものであり、ゴルフをするためにデザインはされていないのです。硬いフェアウエイはボールの転がりを不規則にし、下手なプレーヤーのミスショットもそれがエラーになり得ないという、ゴルフだけが生む面白みを与えました。小さなグリーンは距離に伴わず難易度を上げ、地形的に不利な条件のもと難攻不落を競い楽しむかのようでもありました。ゴルフの持つ本来の人気の秘密や優れたコースの神髄を知る上で、このリンクスコースのエッセンスを学ぶことは不可欠と言えます。

(トムドーク著『ゴルフコースを解剖する』からの引用を一部分含んでいます)

 

 

クラシックデザインの時代

1900年~1930年代にかけて、ハリー・コルト、アリスター・マッケンジー、チャールズ・アリソン、CB・マクドナルド、ドナルド・ロス、セス・レイナ―、ジョージ・トーマスJr、A.Wテリングハストなどゴルフの発展が徐々に拡大してくる中で優れた多くの設計家も生まれてゆくことになります。リンクスコースを研究し、そのテイストを様々な国で様々な用地にゴルフコースをデザインしてゆくことになります。リンクスの気候条件はない様々な敷地に見た目の景観や全体的なバランスを持たせ、バラエティーに富んだ設計がされてゆきます。そして、リンクスコースを研究しその中にある本質を抽出した中で、リンクス特有のペナルな部分をそぎ落とし戦略性を重視した設計理論をアリスター・マッケンジーの論説により明確化され、その設計理論(クラシック理論)が以後主流となった、そういう時代性を持ちます。また、リンクスではあまり意図しなくてよかった人工的なバンカーの配置や自然のクリーク・池の取り込み方など戦略性のアイディアをどう設計に取り込むかを模索してゆくようになります。1930年に世界恐慌となりその流れは中断されてしまいます。その時代性において、プレーの技術の発展と共にボールや道具の進化があったことも見逃すことは出来ません。

 

その時代に日本のゴルフ史も始まることになります。日本における黎明期(草創期)においてチャールズ・アリソンの存在を忘れることは出来ません。彼が持ち込んだ戦略型のコース設計理論をもとに作られたのが東京GC朝霞コースであり、川奈や廣野、鳴尾などのコースでした。アリソンと同行したペングレースも後の日本のコース建設において多大な影響を与えたと言えるでしょう。更にはその時代、欧米でゴルフを体験してきた幾人かの日本人やアリソンの仕事を研鑽していた者の中から設計家が生まれることとなりました。アリソンのエッセンスは見よう見まね、或いは思考錯誤の中で今も残る多くのコースを作り上げることとなります。

当時の代表的な設計者としては、井上誠一、上田治、佐藤儀一、赤星四郎、藤田欣哉、保田与天、等が活躍を始めた時代でもあります。

 

 

モダンデザイン(アメリカンモダン)の時代

この時代から、その昔にはなかった、大型重機の出現によりコースにそぐわない地形をコースに作り上げる技術の進歩がそこにあります。自然を取り込み自然の中に融合するデザイン志向を目指し、荒涼としたゴルフコースにそぐう事のない用地・地形の中に人工的に美を作り出すという言わば、マンメイドな造形美を展開していった『モダンゴルフコース』の時代になってきました。代表格としてはピートダイ、ジャックニクラウス、RTジョーンズ、トムファジオといった名匠が数多くのゴルフコースを作り上げました。戦略かつヒロイック(挑戦的ターゲットゴルフ)的な考え方やランドスケープ重視の見栄えのするデザイン性を強調するなど、多くの国々にその発想とデザイン性を形にしてゆく時代となりました。

一方、日本においては、成熟期を迎えてきた井上、上田の両氏に加え、後継として、富沢誠造、鈴木正一、加藤俊輔、小林光明、宮沢長平、他、数多くの設計者が生まれ、多くのゴルフコースが日本に誕生することになってゆきます。

 

この時代の意義は多くの人々にゴルフの魅力を伝えることが出来た中で、ゴルフ人口の飛躍的な増加を遂げることとなり、『ゴルフ』をスポーツ競技としての盛り上がりを世界的なものとなったという点において大きな意味があったといえます。その時代の後半は、日本においてのゴルフ場開発はバブル経済期の波により多くのゴルフコースが誕生してゆきます。1990年代~2000年代、総量規制によって新設コースが造れなくなるまで日本において続きますが、その後バブル崩壊により、開発は一気にストップします。開発申請が下りていたコースも計画を断念するなど、もはや新設コースが生まれない時代となったばかりか、余儀なく閉鎖となり大規模ソーラー発電所となったコースもよく見かけるようになりました。

 

 

   現代の背景 コース改造が主流に・・・

コースが出来なくなったとはいえ、グリーンのコンディション悪化や耐暑性を持つ草種の品種改良が進み、ダブルグリーンのワングリーン化や高麗芝のベント化など床砂の入れ替えや排水改善を含めたグリーン改修が歴史のあるコースや運営状態が良好なクラブ、オーナーの入れ替わりによるなどのコースで続々とグリーン改修工事をメインとする改造工事が盛んになりました。

また、2000年頃から世界でのゴルフデザインの潮流は回帰志向となり再びクラシックデザインのすばらしさを追い求める流れが欧米で盛んになってきました。代表的な設計者としてはベンクレンッショー&ビルクーア、トムドーク、ギルハンス、マーティン・エバート、といった設計者たちです。また、ニクラウスやトレントジョーンズⅢ・リースジョーンズらにおいてもその思考への傾倒は言うまでもありません。その流れは日本にもやってきました。歴史を重ねてきた様々な名門ゴルフ倶楽部でグリーンの改造を主題に改修設計の時代が始まりました。近年では我孫子GC・東京GC・廣野GCを代表としてクラシック理論又は原点回帰をコンセプトに質の高い大掛かりな改造工事が外国人設計家の手により行われました。

 

これからを見据えて

日本においては、はじめは高麗のワングリーンから始まり、ベントグリーンへの待望論から高麗とベントのダブルグリーンとなり、ベント芝に対する管理手法の確立から、ワングリーン化の改造をするコースもあれば、ダブルグリーンを継承しダブルベント化という流れが生まれました。それらの改修がひと段落するや否や近年では、気候変動に対抗しバミューダ品種や高麗芝の改良品種などを模索が始まりました。そういった自然環境の変化に密接に関係し、技術革新によっても変化するものです。

 

また、コース改修の考え方はその時代性のニーズによっても変わり、デザイン志向の流行でも変わります。メンテナンスを考えたうえで変えてしまう事すら少なくはありません。コースを改造設計する上でその変化に応じ、より良い設計とは何かを設計家は考える立場にあります。

 

近年は資材不足や人材不足がささやかれ、より耐久性のある工法や資材を求める傾向があると思います。これからの設計はこれらの動向を敏感にとらえなければなりません。その上で永続性のある改造が求められてくる時代です。言わば日本においてはコース改造の時代というべきかもしれません。全ての現状を捉え、よりゴルフのプレーが楽しくなり、素晴らしいと実感が持てるコースへ改造をしてゆくことが、ゴルフ界の将来を明るく照らすこととなると考えます。

 

 

『ゴルフ』は、コースデザインはもとよりボールもクラブも服装もルールすら時代性に合わせ変わってきました。変わらないものは、あるがままにプレーする・判断は自己責任・同伴者への思いやりとよきマナーといった『ゴルフの基本的な理念』だけです。