デザイン構成の原理

あらゆる環境デザインをする場合の私が考える基本原理です。  

 

 3次元的な力量感と方向性を持つことによるモーメントの作用を念頭に置き、奇数配列に於ける強弱を整え、力みの無い環境作りを目指す。余白空間を消す事無く、力点を明快にしながら、居心地のよい空間を創造する。自然が織り成す姿の中に全てのヒントがあり、 人はそこから自然の豊かさと心の安らぎを感じとることが出来ると思います。

 

 Sisiku Garden Hougenin Kyoto

京都の嵐山『宝厳院』獅子吼の庭です。

自然の調和を絶妙に作庭家の構成によって作り込まれています。京都では私が最も好きな庭です。


解説しますと・・・・

 自然界にはシンメトリーは存在しえません。左右対称は自然界にはないと考えるべきでしょう。

シンメトリー空間を人が演出する場合、それは人が自然を超越せしめる異空間の創造によるデザインの思考と私なりに解釈します。

 そうでない場合、つまり、人と自然の融合や融和を捉える環境ではア・シンメトリックな構成をとることが自然です。 よって、力の配分は1・3・5・7・9・11・・・・の様に割り切る事ができない素数配列によらなければ崩れる事になります。それは、高さ・数・重さ・平面的な位置関係など全てに渡って共通される要素の全てです。その空間構成要素が繋がり、幾本かの線(Line)が生まれます。その線は決して直線にはなり得ません。蛇行し緩やかな時として急な繋がりの良い曲線を作ることになります。その基準となる点を繋げた場合、それらは全て不等辺三角形を描き、正三角形の配列を除外します。それらの頂点を結ぶ曲線のあり方が、自然の原風景そのものであることに気付くでしょう。取り扱う環境の目的と融和できることが、大切です。それらの基本原則は逆説的に配置構成の正誤を問う事すら可能な最も重要なファクターであると思っております。

 

 2000分の1から20分の1のスケールを同時に捉える事が重要であると考えます。

それぞれのスケールで、それぞれの構成が不等辺三角形の構成を守りながらスケールを変えた場合でも各構成要素がそれを守る事が重要。言い換えれば、図面上で構成が整はなくとも、そこに立った場合問題がないだろうという事もしばしばありますが、大きなスケールに引いた場合、何頭の違和感は生まれる危険性が高いという事です。私は、平面図上でその正誤を登用にしています。

 

 それは、樹木の植栽配置、石組みの自然石1石の配置がそうである。といった様にどのスケールをとっても守られてゆくべき原理であり、もし、建築の配置の中で全体の空間が整ったあるいは不整形の中のバランスが保たれているかを考えることが重要だと考えます。更に申し上げれば、表・裏という意識を極力捨て、自然の地形や背景のあり方に重点を置き、360度どこから見ても重力と日照を素直に受け入れるものであるべきと考えています。それぞれの持つ

 

 結論的に言えば、不等辺三角形のつながりで全てが構成されているという事になります。急峻あるいは尖ったものはその比率が1:7以上のように辺の構成が極端で、緩やかなものは正三角形に近くなります。高さや位置関係のポイントがその構成になってゆくという事で、重さ或いはボリューム感といったものも同様に捉え、構成される必要があります。

 

 際立ったモノの存在価値だけに捕らわれて、構成をしてゆくことは全てのバランスを崩しかねません。デザインは、鳥瞰的なバランスからディテールまでが一貫した流れを持っていなければなりません。

 つまり、大きな景観からズームアップされる木々や花々の一つの美しさなど、様々なアングルや景色の大小までを考察しておく事が重要です。

 

真・行・草 という茶の世界の空間演出の考え方から考えると・・・

 

  自然界にも人工のものについてもその空間や物体そのものには人の感覚で言って、『荒々しく複雑なモノ』『整然と整ったモノ』『どちらともいえず何気ないモノ』の3通りに分類することが分かりやすいと思います。

茶庭や茶室の『しつらえ』に『真・行・草』(しん・ぎょう・そ)というデザインの基本的な構成の捉え方があります。

つまり、真は規則正しく直線的できめ細かく整然とした雰囲気を求めるもので、『草』は自然で洒脱、粗雑なようで品があり、自由でユニークで不揃いな要素を取り入れるものです。その中間が『行』であり、一般には最も理解しやすく経済的で受け入れやすいものとなります。その方向性の中で、構成される部材や形状が決まり、部材や仕上げ方、管理のされ方、などが決まります。

 

 アールヌーボーは『草』の要素で、アントニオ・ガウディ―の建築の風合いにあり、アールデコは『真』であり、フランク・ロイド・ライトの建築のスタイルに近いと考えても良いかもしれません。その2つのデザイン構成の様式は対照的で交わることはありません。

 

 曲線的か直線的かのどちらで構成するのがふさわしいかを決めておくことが全体のバランスを整えるうえで大切です。

 

 ゴルフコースで仕分けするならば、オーガスタナショナルGCやオークモントGCなど幾つかのアメリカ本土にあるゴルフコースなどは『真』でスコットランドやアイルランドのリンクスコースの殆どは『素』で、多くの日本のゴルフコース、インランドの英国のコース、その他多くのコースは『行』といえると感じます。ゴルフコースは元来自然風景の中にあるので、曲線であることが当然ではありますが、ポストモダン的なデザインを近年見ることがあります。あえて角ばった角を出し、直線的なラインを強調するものが出てきています。自然風景の中の直線はその線のインパクトがあり、コントラストを生んでいると感じます。スクウェアグリーンや、角張って長方形を象るものです。建築で言えば、あたかもル・コルビュジェのデザインを思い描いてしまいます。

 

 

 それらのデザインの方向性の中で、それぞれに交わってしまわないことが望まれます。大切なのはどのタイプで構成してゆくかを明確に決めておかなければ、統一感はなくなり、居心地の悪い空間とか環境になってしまうという事だと思います。

 

以上の基本原理が理解されると様々な物の形と風合いが決め込まれてゆきます。

  1. 植木をどのように配置し、どのような向きで、どの程度傾けるかが理解できます。
  2. どのような石をどのような配置で、どれほどの力量感を表す向きでどこまで立てるかが理解できます。
  3. 流れや池の形状を整える事が容易になります。
  4. 園路の曲線をどう見せるかが分かります。
  5. 施設の配置として最も相応しい平面的な位置と高さを求める事が可能になります。
  6. その他、全ての構成が明快になります。

デザインとは一方で合理的でなければならない。

 蛇行させればその曲線は美しい弧を描きますが、人の行動パターンにおいて、回り道過ぎたりデッドスペースを生むような非合理的な敷地計画は良いデザインとはいえません。敷地や空間を最大限に有効活用するための合理性を持った方法論である事が必要条件になる。その上で『美』や『芸術性』のグレードを求められる事になります。その二つを共存させ、人の心を安らかにする事がデザイナーに課せられる使命であると考えます。

 さらに、メンテナンスにも気を配る必要がある。いくら良いものでも、メンテナンスコストが施主の思惑とかけ離れた場合、それは数年で無残な瓦礫の山となり得るものです。デザインを始める場合、それをよく吟味しておく事はデザイナーとしての役目でもあると私は思います。

 

つまり、施主の資質を見抜いておかなければならない。その上での最善策でなければならず、自己のデザインの押し売りであっては決してならないという事となります。